とあるIT傭兵兼週末ギター弾きの落書帳

バンド活動、エレキギターをはじめとした機材、その他趣味のこと、最近思うことなど徒然と書いていきます。

音楽のルーツ その1

好きなように生き、好きなように書くIT傭兵兼週末ギター弾きの落書帳。

 

簡単に自己紹介も済んだので、

そろそろ本題に入ろうと思う。

 

今回は、自分が音楽を聴き、エレキギターを始めるまでの話。

 

■音楽に興味を持つまで

もしかしたら自己紹介で書くところだったかもしれないが、

自分の家族は父、母、姉の3人いる。

 

それぞれ何かしら楽器を扱ってた。

とはいっても、いずれも趣味にとどまるレベル。

誤解の無いように言うと、全然音楽一家ではない。

 

幼少期の頃は姉がピアノ、父はフルート。

そんな環境で育ったもので、楽器を意識することはそう遠くなかった。

小学生の時、姉がピアノレッスンを受けている様子を見て、

弾いてみたくなり、ピアノを始めることになる。

初めて楽器演奏に興味を示した瞬間である。

 

就職後に実家に戻った頃、姉はピアノをやめ、父はフルートとバイオリン、

母は「うちのどこにそんな代物があったの?」

と聞きたくなるくらい大きいハープを始めていた。

 

当時は人前で演奏する機会はあったものの、

2~3年間で終了…。

当時は中学受験と時期がかぶってたから、

ピアノ弾いてる余裕が無くなったんだろうな。

 

■バンドに興味を持つまで

その後は聴くだけになるが、1990〜93年のある日、

Xが紅白歌合戦(?)で紅を演ってるところを見る。

 

「なんだ、この速ぇ音楽は。よくわからんが、かっけぇぇ。」

 

幼稚園の頃からベートーベン、バッハのG線上のアリアなどのクラシックを父に聴かされ、姉が持っていたTMNETWORKはじめポップスを聴くくらいしか機会が無かった

自分には初めての衝撃だった。

 

ビデオテープに録画してあったので、

1日20回、半年間くらいは繰り返し見てた。

 

■初めてのエレキギター

中学では剣道部で過ごしたため、

入学から卒業まで楽器に触れる機会はなく、

聴くだけになっていた。

 

もちろんこのまま竹刀片手に人生を過ごす選択肢もあったかもしれないが、

当時の自分は性に合わないと思ったのか、卒業前になって簡単に捨てていた。

 

高校に入ってからは、バレーボールをする傍ら、

自宅近くのマックで細く長くバイトをしていた。

 

バイトを始め、ある程度お金は貯まったものの、

何に使うかを考えていなかった。

 

「そうだ、エレキギターでも始めるか。」

小学生の頃にみたビデオの影響ではあるが、

簡単な動機で津田沼駅近くの島村楽器へ。

 

店員さんと話をしながら、ギターが売り場を前にして

こちらから出した要望はこちら。

・強そうなやつ

 

そしたらGibsonレスポールが出てきた。

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何のクラスか忘れたが、こちらの予算が4万円くらいしかなかったので

明らかに予算Overである。

 

今の時点で自分のことを知っている人はわかるかもしれないが、

レスポールの重さ、音、くびれに恋してはいるものの、

ナイフみたいに尖っていた当時の自分にとっては

検討対象外となってしまった。

高校生ライフ残念!!

 

自分が最初に出した要望がアバウトすぎたと反省しつつ、

追加で店員さんに要望を伝える。

・軽いやつ

・尖ってて強そうなやつ

・他の人が中々使わないやつ

 

結果、出てきたのはこちら。

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写真は借り物。FERNANDESのMockingbirdである。

Xのhideが使っていたギター…のレプリカ。

今思えば、大胆な選択をしたよな。

 

自分が出した要望と照らし合わせる。

ボディが薄いので4㎏未満と確かに軽い。

写真の通り、いつか誰かに刺さりそうだ。

hideが使っていた形ではあるものの、当時の初心者層からは避けられていたので、

ユーザーが少ない!!(店員さん談)

 

「hideと同じギター持ってるから上手いんじゃ~?」

とか思われたらなんかな、とか躊躇していたものの、

 

「それは他人が決めることじゃなかろうさ 生き死にと同じによ」

と3分で思い直し、Mockingbirdを買う。

 

まさか小学生の頃、ビデオテープ切れるまで見ていたバンドの

ギタリストと同じ形を選ぶとはな。これも縁だったのかね。

 

ギターコードのFなんかは、練習し始めの頃、真っ先に挫折したので、

教本を黙々と練習するよりは、アーティストの曲を課題曲に決めて、

パワーコードから始めた記憶がある。

 

その後はBlanky Jet Cityのコピーバンドで文化祭に出ながら、
Dir en greySOPHIAGLAYSADSをはじめとしたロックバンドの曲を練習する。

 

この頃は既に1999年前後で、Janne Da ArcSIAM SHADEも既に世に出ていて曲も知っていたものの、当時半端な耳コピしかできなかった自分にとっては流通する楽譜が頼りだったものの販売していなかったため、聴くだけになっていた。

 

Janne Da Arc熱は臨界点に

周りがハイスタだTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTKICK THE CAN CREWはじめHIP-HOPが熱を上げ始め、スペースシャワーTVも夏休み中ずっとKICK THE CAN CREWのライブ映像が流れる時代だった。

 

そんなもんで、V系のアーティストが好きと公言しようものなら、周りは白目むいたかのように( ゚д゚)ポカーン。

でも自分の信念は曲がらなかった。

好きなものは好きである。

 

日本のバンドの中ではJanne Da Arcの楽曲が程よくテクニカル、ハード、

歌詞はムッツリスケベな高校生だった自分の心を掻き立てることに気づく。

 

振り返ると彼らのCD、映像作品をインディーズ時代に

遡って集めるようになっていたわ。

今でこそ大体はインターネット通販で手に入るけど、

レンタルショップ他販売店を探し回った。

 

FATE or FORTUNE」や「1999 TOUR“CHAOS MODE”」は

ビデオテープを買った。

今でも自宅にあって、たまにビデオデッキに入れて見ている。

 

  R-type「瞳の色」は当時の自分にとって神曲

 

アルバム「D・N・A」の発売から1年後に

楽譜が販売開始していたので、予備校帰りに買って、練習してた。

まずはLunatic Gateから。

 

ライブはー…、バイトはしていたものの、

残念ながらエレキギターに散財していたもので、

チケットを買って観に行くってところまで手がでなかった。

後悔は先にたたないものですな。

 

この時点でMockingbirdを手放したものの、ギターは2本あった。

画像は借り物。

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Grover Jackson Kelly

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FERNANDES JDA-85Y

 

■目標になるアーティストがいてギターを続けられた

その都度憧れて目標にできたアーティストがいたことは、

エレキギターを続ける良い動機だったんだろうと、改めて思う。

 

 

無理矢理〆て、今日はここまで。

では、また次回に。

 

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